順法と言っても
順法と言っても、日本国民であっても、ふとどきながら、守るべき法律を、覚えている訳でなく、その法文を見たこともない人が、国内に、比較的多くいるようだ。だからといって、覚えていない法律を犯しても、無罪となる訳ではないので、むしろ、理系文系、老若男女、積極的に、法律をより知ることが、自分のためにも、有利であることは確かだ。
最近では、書籍の厚い六法全書を購入しなくとも、日常的な社会生活に直接、関係する法文であれば、インターネットで、検索すれば、法文も、解説も、ある程度、閲覧できる時代ともなっている。この分、法律を知らないということは、ますます、それが、罪になるし、裁判官の心証もも悪かろう。ますます、自己責任が問われる時代でもあるということだ。
法律は、犯罪を取り締まるだけでなく、国民を保護する役割も果たすのであって、この部分を、自ら知らしめることを怠ったことで、色々不幸な人生に陥る方も、少なくなかろう。例えば、自己破産とは何ぞやとか、その実行方法など、知らないがために、自殺する方もおられるかもしれないのである。このことは、結局、過去の画一化教育のたまもので、教えられたことだけ、覚えれば良いという人格においては、まったく救いようはなかろう。ソクラテスは、「無知の知」とのたまわったが、教えられたことだけ覚えていれば、安心なんていう計算機みたいな人格では、知らないことが、やっぱり分らないので、最悪の状況になって、理由も分らず、つぶれていくようなことになりかねない。これは、画一化教育の優等生の末路かもしれないし、世に言う、「金太郎飴人材」という重たいリストラ候補とも言うかもしれない。
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