安全衛生の時代(倫理学発動のとき?)

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脱線事故から、時間が経てばたつほどに、その組織で、安全衛生の機能不全や、形骸化、中身のあるものになっていなかったのではと、ますます感じています。
これは、数年前、倫理学が発動されなければならない時代とも言われ、社会の崩壊リスクが、非常に大きく感じられた時代もありました。現在、メディアで話題には、ならないものの、その状況は、改善されていないことは明らかです。この状況にあって、今回の安全衛生上の問題は、氷山の一角であることは、容易に想像できる。とはいっても、これは人任せでは問題解決されない特性を持ち、つまり、組織の構成要員や、社会の構成要員の個々の認識が、総論となって、社会現象や事故に具現化するものなのであり、決して他人事にせず(全員の連帯責任である)、全員が、問題解決に取り組むことが、改善には、不可欠なのであることも自明である。結局、事故を起こすのは、無形の組織という概念でなく、個人その人なのである。

結局、各人に、今であるから、日常業務や、当たり前と思っていることを、本当に、安全第一に、適切な方法で実施されているか、本来の目的のために機能し、実践されているかなど、セルフチェックが、必要なときと思えます。また、分らないことを、そのままにせず、必ず、理解して、先に進む姿勢も重要であろう。
問題に気が付く努力(自己啓発、情報公開、情報交換なお)と、気が付いた問題を、業務改善やコプライアンスの問題として、改善に取り込むべきです。私の感じるところでは、判断に必要な知識の不足が問題を起こすケースも少なくないと感じています。また、問題が分っていて、何もしないことは、もう既に犯罪ですし、同罪と見なされます。なんといっても、組織も、そのようなことを、許す立場にはないはずです。
もう一つ、脱線事故から気になったのは、事故を起こした運転士は、何故、運転士であり続けなければならなかたのか? その組織には、他の役職も多くあるはずであり、社員が、適材適所で働ける環境の実現が、組織としての健全性を維持する為に、不可欠とも思える。高い能力を求めるのであれば、それを実施可能な人材が、配置されるべきであろう。個人の夢も、やはり実力を超えて達成されるものはない。安全衛生における衛生面の機能不全も、否定できない。今回、遅れが、組織に漏れたのを知って、運転士がやけになって、自殺に走ったというせんも、否定で来な状況である。組織的に、社員の異動がフレキシブルに行われ、各社員が、広い視野で仕事が行われる職場環境が実現されることも不可欠であろう。

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このページは、Digi Pontaが2005年4月29日 16:34に書いたブログ記事です。

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