「安全第一」も死語?
一般オフィースでありながら、年に何回かプライベート展示会を催すようなところでの話なのだが、展示会設営中、会場案内の大きなパネルが、消化器を隠すように置かれていた。それを置いた人は、理由はどうあれ、本番でも、このレイアウトで行くように考えていた。この状況では、遵法性を問う前に、常識的な範囲での安全に対する配慮が、既に欠けているとしか思えない。そもそも、会場の設営の目的は、顧客を、もてなすことが、基本だろう。「もてなす」という観点では、会場の飾り付け以前に、展示会を安全に見学していいただくための施策が、最低限、行われるべきことであろう。これが、「安全第一」というものだ。。。
また、現在、いつ大地震が起きてもおかしくない東海から関東にかけた地域では、顧客も、安全で無いところへ、はなから、見学にくることは、全く以て、不本意だ。個と個との信頼関係は、個がある程度の常識を持っていると見なすことによって、成されているのであるが、そもそも常識を持っていない個が、混ざっている組織では、その信頼も、幻であり、誰かを信じた個の方が、妄想者と、ののしられる。現代社会では、もう、見込みで、検証されていない信頼性を、信じることは、かなり高いリスクになっている。日本全体も、「愛社無罪」世代以降の人材が、「ソーシャル/ヒューマン・ハザード」の元凶ともなっているかもしれない。
「ソーシャル/ヒューマン・ハザード」汚染地域に居る方は、対策としては、まずは、自分の身を、自分で守れるよう、自己啓発(とりあえず、一度も教育を受けなければ、全く知識が無いと考えて良い)や行動を起こすことぐらいか。組織的な対策は、基本中の基本であるが、地道に、有識者(組織外の専門家)対面の全員研修から始めて、全社員(職制に関わり無く)、安全に対する意識を合わせる行くことだ。この安全への意識合わせ(ある意味、イニシエーション)が、効果的になされない状態で、現場に任せるというのは、組織として、やっては行けない典型的な例であるということも、付け加えておく。
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