リアルとバーチャルの一体化の奨め(続×3)

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サイバーワールドの実体と、リアルワールドの実体の対応関係が、確立したとしても、それで安心かというと、そうでも無さそうだ。。。

リアルワールドの実体に関して、その実体が何を指しているのかが、今ひとつ、明確ではないということだ。つまり、暗黙の了解があって、リアルワールドの実体(肉体)に、コミュニケーションの一端の当事者たる意思が、その外にもれず、存在しているという了解なのである。現代社会において、心理学的な観点では、不運にも、1つの肉体に、複数の意思が存在するケースが認められているのである。これは、世に言う「多重人格」というものであり、病的なものの他に、現代人は、少なからず、多重人格であるとも言われている。1つの肉体に同居する多重人格の全てを総称して1人と判断するのも難があるようだ。海外の判例では、顕著に異なる人格が同居する場合で、1つの人格が犯罪を起こした場合、犯罪を犯した人格が、罰せられるような雰囲気でもあるようだ。
一方、サイバーワールドの実体は、多重人格を反映できていない状況である。また、反映すべきことなのかと疑問もある。正確には、サイバーワールドの実体は、リアルワールドの実体に同居する人格の1つと対応関係を確立すべきとも思える。異常でない多重人格では、端から見ても、1つの人格と見える訳で、特に区別する必要も無いようにも思われるが、本当に、無条件に信じてよいものか、大分、懐疑心も湧いてくる時代とも言えよう(^^;。
また、人格(意思)が、肉体の外に離脱することがないのかどうかも、疑う必要もありそうだ。1つの可能性としては、AI技術の活用で、意思の一部を実行するプログラムの断片が、どこか別の場所で実行される場合、本人に、ある条件下で、成り済ます危険性も、考慮する必要もあるのかしれないが、この懸念は、まだ、先の心配と思いたね。


なんとも言っても、ゲーデルさんの不完全性定理は、釈迦の掌のようだね。一貫性(つじつま)と完全性(すべての網羅)は、同時に、満たされないと言う定理だが、言葉を使う人間の限界というべきものか? これと裏腹に、可能性でもあるのだけどね。また、PDCAサイクル(向上サイクル)の手法は、この定理から見ても、理にかなっているものだね。

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このページは、Digi Pontaが2006年2月28日 22:28に書いたブログ記事です。

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