雪印から不二家の事件は氷山の一角?
結局、コプライアンスの習慣が、全くなかったのだから、これから、古株の多くの日本企業は、食品分野の企業に限らず、色々、膿を出さないと行けないのだろうなと、予感するのです。
自ら膿を出すか、不祥事で膿を出させされるか、遅かれ早かれ、膿を出すことには変わりないが、顧客へ被害を出すことは、避けて欲しいと希望するけど。結局、毒を食らえば皿までという諺もあるように、行くところまで、言ってしまうのだろうなと感じるところです。結局、構成員の個人が、身も心も、コプライアンスを、徹底するようなことになる必要があるのだが、これは、そもそも、日本国民としての義務である訳で、当たり前のことであるのにも関わらず、正しく配慮する習慣が無いという訳だ。
何とも、悲しいことだが、徹底的に再構成して、生まれ変わる必要があるだろう。基本的に、組織の規則は、法律を包含していず、追加的な条件のみ定めるので、コプライアンスのリテラシーが個人に徹底していないから、目先の組織の規則だけ守っていれば御の字になって、その結果、組織として、コプライアンスが実現できないという構図なのだろう。結局、本来、法律自身のリテラシーが個人に必要で、これを欠いては、どうにもならない。多分、タバコの吸い殻を、道に投げ捨てるような輩は、コプライアンスが徹底される人格としては、不適切かもしれないね。
特徴としては、どの構成員も、罪の意思は、全くないか、タバコの吸い殻の投げ捨て程度にしか感じてないことだろうね。上記の構図では、誰も、自分は悪くないということになるだろうな。これは、腐ったボトムアップの組織という部類に近いよね。
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