北斗真剣でやられたのか「既に死んでいる」
組織の自己改革といっても、問題に気が付かなければ、、、、
改革の動機もターゲットも、見えないまま、踊らされる。とは言っても、自分で気が付けるものであれば、当然、問題も起きてないし、理論的にも、自分で気が付けることに、必然性が無い。この結果として、問題の抽出には、外的からの作用が必要条件なのだ。問題点が明らかになれば、その組織の生死を、容易に弄ぶことも可能になるかとも感じる。このようなリスクから組織を守るためには、出来るだけ早く、問題を解決し続けることに他ならない。旧態依然として組織の伝統の維持が、生死に優先されるべきものなのか、何とも、問いたいが、誰に問えば良いのか、既に判らなくなっている組織は、既に、がん組織のようで、人としては、死んでいるのかもしれない。
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