コヒーレント・ビーイング

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造語を考えました。「コヒーレント・ビーイング」です。これは、人間の群集行動において、群集を構成する人間が同じ行動を取る状態で、人間の性とも感じるものです。なお、ここで言う「群集行動」は、広い意味で、社会に暮らす人間の日常な行動も対象です。「コヒーレント・ビーイング」には、意識的なものと、無意識的なものの他に、ステレオ効果によるものなど、幾つかの形態が考えられます。
さて、面白いのは、過去の画一化教育や、高度経済成長時代の労働者教育の賜物として、個人が独自の判断で行動していながら、群集としてみると、ほとんどの個人が、同じ行動を取るような状態を起こす傾向にあると思います。これは、ステレオ効果とも大分異なる様相です。
「コヒーレント・ビーイング」の観点では、JR西日本だけではないと思いますが、安全ボケや平和ボケは、組織において、構成員全体に、同程度に起きていると思われますし、ほぼ、日本全域で、国民に起きているとも感じています。ただ救われるのは、全ての人間が同じ行動を取ったとしても、現実的には、全員が同時に事故にあったり、災害にあったりはしないので、まさに、故人曰く「他人の振り見て我が振り直せ」によって、問題の把握と改善がなされる訳です。まずは、何が起きても、他人事と考えることなく、貴方も同じ行動をしていたはずと、鏡に映る貴方自身と思い、「我が身を直せ」なのです。

このような人間の問題を、補完するために、技術があるものと思うのですが、未だ、巧く機能しているとはいいがたい訳です。
例えば、ISO9000シリーズなどの向上サイクルの実現と検証方法を規定する規格ともいえますが、あくまでも、定義しているサービスもしくは業務のブラシュアップを超えることはありません。結局、自作自演であり、当たり前のことですが、定義されていない業務(作業)が、どうするうべきか方法論は与えません。それにも関わらず、世間一般的に、規格に従っていれば、すべてが免責されるという雰囲気も感じます。
一歩、引いて、社会における自分の立場を理解し、その責務を果たした上で、仕事を行う姿勢が、大分、希薄になってきているとも感じています。この「希薄」というのは、決して難しいことを言っている訳でなく、例えば、「正義感の無い警官」という状態ですね。サラリーマンも行き過ぎると、犯罪者って感じでね。要は、仕事の能率を上げるのは、あくまでも作業の分担(職制含む)であって、心まで分担することでは、元からないのね。



余談) 「コヒーレント・ビーイング」って、高度経済成長が終焉して問題となっている「金太郎飴的人材」の英訳にもなるかな。

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このページは、Digi Pontaが2005年5月 6日 09:42に書いたブログ記事です。

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