そうえいば、ユビキタスって、
なんとなく、日本国内は変な感じだ。米ゼロックス・パロアルト研究所のマーク氏が、1988年に提唱したコンセプトからすると、大分、違うものを追っているようだ。このコンセプトであれば、現代社会は、携帯電話や情報家電の普及で、ほぼ達成されている。今、躍起に、追っているのは、蚊帳の外だった技術者であって、ユビキタスの亡霊を追っているとも感じらる。1988年というと、今から、17年も前になるのか。私としては就職した翌年であり、日本の電機メーカは、大型計算機さまさまの時代だったが、数年後には、ライトサイジング(ダウンサイジング)の波が、欧米から押し寄せてくる。この波は、今思うと、まったく別次元のものであったように思える。ちなみに、最近のACMの会誌の特集では、ユビキタスは、デバイスを選ばず必要なコンピューティングを行える環境のようだ。この例では、PDAや携帯電話が上げられていた。この状況を考えると、日本国内では、変な精神論で、変なものを追わされる羽目に陥っている技術者も少なくなかろう。現時点では、まだまだ、計算機の存在を意識しないで仕事ができる状況にはなっていないので、まだ、ユビキタスのオリジナルコンセンプトへブラシュアップする余地は残されているが、普通ならば、もう好奇心を持つには、古くなった感じもある。さらに、今、生まれてきている新コンセンプトはないものだろうか疑問も、大分あるが、ユビキタスの次には何があるとか言う議論が、ユビキタスの提唱から17年後に行うというのも、なんとも気の抜ける感じだ(でも、この手の分野に興味のない一般人には、何が出てきても、新しく感じるものだろうけど)。
ユビキタスの次と考えるよりも、本来は、将来ビジョンというものだろうが、ここ数十年で、社会システムや、社会インフラを、どうしたいかということに尽きるだろう。今の延長と考えると、とても、暮らしやすい社会にはなりそうもないような感じもしているが、この先は、疲れたので、後日。
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