法律: 2005年5月アーカイブ

特に、明治時代以降から戦後、大和のこころが、ご都合主義に解釈されて、それが日本人の美徳とされて今にきている。「大和魂」は、戦争に利用され、「和」は、戦後復旧の談合に利用された。日本の歴史の教科書も、当時の政治の都合によって、内容の右左へと変貌している。大和時代を考えれば、分かることだが、義務教育でも、その時代のことは、どんな感じの時代ぐらいかは、かわらず教えているどうが、大人になって、その知識が行かされないことも、残念なことである。ある意味、その歴史を理解させる時が、理解するには、大分、アンマッチなのかもしれない。さて、、、

仕事で、ビジネスシヨウ TOKYO 2005を見学に、東京ビックサイトまで行くと、安全 健康 快適フェア(安全衛生総合展2005)もやっていたので、ビジネスショウを見学後、安全衛生総合展2005も見学しました。

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しかし、事故も多発する最近にして、タイムリーな展示会だ。書籍販売コーナで、KYTなんて見ると、何か懐かしい感じだった。10年前だったか、案件プレ活動で、3DCGで、工事現場を再現して、KYTを見ながら、危険シーンを作った記憶が、おぼろげながらわいてくる。でも、現在の職場は、机上にパソコンが置いていあるような一般オフィス、書籍の多くは、工場や建築の現場が対象の本だったけど、2冊(下写真)、オフィス向けのものがあったので、買ってみました。

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2冊の書名は、それぞれ、中央労働災害防止協会「見直そう 整理・整頓・清掃・清潔 4S」(レッツスタートシリーズ)と中央労働災害防止協会編「オフィスの安全と健康ノート」(Safety&Health SPIRIT)。コーナーをサポートしていた中央労働災害防止協会の方の話では、まだ、他にも、色々、あるとか。買った本を読んで見て、「安全衛生 精神」という言葉も、懐かしく、思い出した。安全衛生は、精神で、初めて実現されるのであって、ルールなどではない。



そういえば、東京ビックサイトで、どこもMZoneの無線LANへ接続しようとしたら、何故か、二重ログインのエラーが表示されて入れず、帰り途中、アキバのドコモショップへ寄って、再度、確認しても、同じくエラー。何処へ電話すれば良いのかも、押さえてなかったので、ドコモショップのスタッフに対応してもらいました。しかし、最後、ちゃんとログアウトボタンを押さないと、同様のことが起きるらしいが、誤って、ブラウザーを終了させると。ログアウト・ダイアログは最表示されないので、どうしたものか?

どうも最近、ソーシャル・ハザード(もしかしたら、ヒューマン・ハザードか?)をも感じる今日このごろ。
結局、大量消費時代、高度経済成長や団塊世代などを経験した世代が、企業の中でも、なりふり構わず、仕事オンリーで生活してきたあおりを、現代、まさに受けているのであろうか。最近、「愛社無罪」のような錯誤を持ってしまった企業のトップが、背任などで、お縄に着くことも、このせいとも思われる。結局、会社生活で本来、必要なことをなおざりにした部分のあおりなのである。最近のJR西日本の事故もそうであろう。全く、作れば売れる時代が、人間を、ソーシャル・ハザード状態(人間性や社会性までをも放棄し、機械のように働くことに慣れきった状態)に陥らせたのである。これは、工場の工員のみならず、普通の会社員、はたまた、研究所の研究者、詰まるとこと、いわゆる、サラリーマンと同等とも感じる。
本筋は、顧客志向であって、お客の欲するものを提供し、社会に貢献することが企業の1つあり方であるが、全く持って、作れば売れる時代は、お客の欲するものを理解する力を、人間から奪ったのであろうし、まさに、新たに入社する新人にも、仲間になれと、襲いかかるのであろう。社風というでたらめな理解を強いるのかもしれない。結局、金太郎飴化してしまうと、回復は、難しい。日本国民として、社会人として、社員として、なすべきことを成すことだが、決して、決まりごとや、上司の命令を、そのまま聞き、実行すること、つまり、内向き志向(サラリーマン)ではない。顧客志向(外向き志向)の考え方は、全ての社員が、お客の方向を向いて仕事をする体制であり、上司と部下の関係は、そのための能率をあげる1つの手段でしかない。
外向き志向にあって、初めて、個々の社員が、向上サイクルを生かし、連携して機能する組織となる。この向上サイクルには、安全衛生、遵法、能力向上などなど本来、社会人としての教養や専門技術を高める強者(ビジネスマン)の和となり、その組織が、強い企業となる訳である。
問題は、外向き志向の原理原則を理解(身に付ける)する機会が、平等でないこと、既に、内向き志向にいる人材には、気が付きようがないことであり、気が付かせるためには、割り切って、劇的変化を、与えるべきなのかもしれない。これは、諺でいうところの「馬鹿は死ななきゃなおらない」がぴったりする。内向き志向で、倒産しそうだったら、今までのしがらみを、いっさい捨て去り、いちからやるなおせる環境を、社員の誰にも、用意することぐらいが、救いの道かもしれない(;_;。

犯罪そのもの発生は、今も、将来も、無くなるべきと考えるのは当然だが、なんとなく気になったのは、ニュース・メディアで、「ゲームの真似をして、犬の首輪...」とか、告げているのですが、「犬の首輪」で、ここ1年のスパンで思いつくのは、一般人なら、まあ、監禁とは関係のない内容であるが、ヤングアダルト向けメジャ週刊漫画雑誌に連載の桜木雪弥著の「いぬばか」の方が、ピント来る。違うだろうか。いきなりゲームのせいにされるのも、押収品に該当するゲームパッケージが見つかるなど有ったのだろうか? どちらにしても、現在は、インターネットなどで、色々な情報が氾濫しているし、何をみて、何をやって、そうなったかなど、1つの原因に特定しようとするのは、少々、乱暴な気もするのである。

しかし、この手の犯罪は、ここ1〜2年のスパンで、やたら迷惑な出会い系サイトからのスパムメールなど、はっきり言って、助長するような社会環境が整っていると考えざるおえない。いまや、何でもできる時代だからこそ、良識が、社会人としての最低限の条件であろう。努力しないと、何も出来ない過去では、当然、犯罪が行われるにしても、それないの努力と苦労が必要だったはずだが、今は、そのようなものは、ほとんど無いものに等しく、まさに、それを行わない判断そのものが、全てを決定しまう時代になっていることも、意識し、配慮し、発言すべきところと思うこの頃である。

最近、TVニュースで、事故の話が連発しているような気がするのですが、なんとなく、
日本国内、安全に関して、安全ボケ、平和ボケが、蔓延しているのではないかと、危機感を、感じるぐらいです。各企業や組織で、安全衛生と称して活動していることは、大体の企業でそういうと思うのですが、事故そのものは、やはり不測の事象(生き物)であり、その事象の発生に備えるための活動であるべきだが、形骸化して、毎日、同じ行動をするだけで、安全を確認したこととしてないだろうか。毎日、周りの状況は変化しているのにもかかわらず、同じ行動で安全確認を済ますことはしてないだろうか。災害ポテンシャルは、原因の排除でなくなることもあれば、何らかの原因で、新たに発生することもあるのです。たとえば、自分の組織に変化はなくとも、隣の敷地で、別の組織が危険な作業をしている場合、その災害リスクへの安全確認を怠っるようであれば、現状の安全衛生の営みは、まったく以って形骸化していて、まったく、実質的に機能していないと考えざるおえないのである。新しく発生した事象においては、それを知る最初の組織(多分、総務系)が、それを知りえない社員のために、災害リスクの分析と対応に関して、組織として、社員の行動を指導すせざるおえないはずである。少なくとも災害リスクの存在を知らせなければ、社員を見殺しにしているのと変わらない。私自身、この観点で省みると、いち社員としては、知らないことだらけだということを、再認識するのである。災害(広い意味で)が起きたときに、どう行動するか、集団で非難できるのかなど、地震の防災訓練以外、何も知らされていないような気もする。誤解だろうか? また、災害リスクを、自ら知っていながら、何の対応もしない社員は、安全ボケ、平和ボケ状態としか言いようが無い、結局、組織は事後処理はできても、災害は起きてしまったら、被害を受けるのは自分自身であることの自覚がないというべきだ。
さて、職場の隣では、現時点、古い実験用原子炉の解体工事が成されているのだが、何かあった場合、どう行動するのか? 何か、知らされているのかどうか。工事は、十分、安全第一で作業されているとは思うが、通常ではありえない災害リスクを有していることには変わらない訳で、危機的状況が起きたときに、どうすれば良いのか、周知・徹底されているようには、思えない。現状を考えると、私の身近も、安全衛生が、形骸化して、何かやっていれば、免責されるなどと、妄想があるようだ。結局は、安全ボケ、平和ボケが、日本全国で、蔓延する時期なのかもしれない。今後、この仮説を裏付けるように、事故のニュースが増えることが無いように、願いたいものだ。
最後に、人間は忘れ易い動物であるので、周知・徹底すべき事柄は、文書化して、それを忘れないようにする時間を、十分に設けることも、組織の確固たる社会的な責務であろう。個人も、安心して働ける根拠が、盲目的な信仰に基づいていなかなど、自己検証するぐらいの機転があっても、まったく以って、損はしない。
また、現在、起きてしまった災害によって、加害者と被害者という構図に分かれてしまっているが、JR西日本のていたらくを、本当に責められる組織や個人が、どれだけ日本にいるのか、はなはだ疑問もある。今、まさに、反省と見直しの時期とも思える。


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